曹洞宗 橘谷山 大洞院 石松の墓

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曹洞宗 橘谷山 大洞院 石松の墓

橘谷山 大洞院で
少し脇にそれてみて
小さな古道らしき道を発見。

石段といい
木々の緑と木漏れ日
石段に生える苔も雰囲気が良く。

個人的には
見るからにピシリと張りつめた
書に例えると楷書的な空間よりも
懐深く少しくずしの入った草書的な・・・

でも
どこか締まる緊張感は保ちつつ
それをあまり強く感じさせないような。

難しい表現ですが
そういった空間が好きです。

こうした所は
何をする訳でもなく
ただそこにいるだけで心地良いもの。

曹洞宗 橘谷山 大洞院 石松の墓

そして
境内にある石松の墓と
清水次郎長の碑に手を合わせて。

(石松略歴)
愛知県三河の生れ
元は代々庄屋もつとめた事のある家柄であったが
石松の父の代に家は没落し父親は幼い石松を連れ遠州森村に流れて来た。
ある神社祭礼の日
石松は雄踏の中で迷子になってしまったが
この頃秋葉街道一帯に縄張りを持ち遠近に侠名をはせた
森の五郎親分に救われそのまま少年時代を五郎親分宅で過ごした。
月日が流れ大人になった石松は五郎親分の世話で清水次郎長の子分となった。
次郎長親分に可愛がられた石松は
次郎長親分の代参として四国金毘羅参りに出かけ
その帰りの途次に
都田村(現浜松市)の都鳥吉兵衛兄弟にだまし討ちに遭い悲惨な最期を遂げた。
万延元年(1860年)6月17日の事であった。
石松は素直で単純な性格であったが
正義を尊び不義背徳を恨み横暴な権力に反抗し常に弱者の味方であった。
当時の侠客社会において稀にみる快男児であったと云われる。
境内には石松の墓と清水次郎長の碑があり
石松の墓は
今なお多くの人達に削られ現在の墓は三回建て直され一度修復したものである。

こんなにも近くでありながら
森の石松の事はよく知りませんでした。

これも何かのご縁。

また来てみようと思える
素晴らしい場所と歴史に出会う事ができました。


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